March 06, 2005
January 11, 2005
ひとりでしたいもん!
宅配ピザのチラシに「”ジャンクフード”から脱却」「ピザ食べて生活習慣病の予防に!」と大見出しが書かれています。
何でも「ブラン(小麦の外皮)入り生地」に、「トッピングはすべて生野菜」「低塩のチーズ」を採用されたそうです。
ピザだけ食べて予防になるわけではありませんし、そんなことをおっしゃっているわけであろうはずがありません。
七日の記事に紹介しました。「あそんでみよう!ちょうしんき」の本文の前に、「おとなの人へ」として「未来をになう人は、自分の健康にみずから責任をもてる人でなければなりません。今日では医学関係者も、そうでない人も、自分の健康は自分で作り出すものだという考え方を受け入れてます。」と書かれています。
選ぶ余地のない状態ならともかく、「食」は生きるうえで最も自己管理の必要な部分です。
今は空腹を満たすことだけを考えるのなら、パックをあけてレンジでチンすれば温かいものも、いつでも食べることができます。野菜の土をおとしたり、お魚をさばいたりと手間のかかることは必要ありません。
少し前のテレビ番組に「ひとりでできるもん!」と言う子供向けの料理番組がありました。いつまで続けておられたのかは知りませんが、うちの子供らも好きでよく見ていました。
刃物をつかったり、火をつかったりは、なかなか小さい子にはさせにくいですが、うまく工夫をされていて、いっしょに見ていて感心させられました。
硬い野菜は、先に電子レンジで加熱してから切るようにするとか、サラダならあえて包丁を使う必要もなく、手でちぎって盛り付けていかれました。
テキストの方も、もりだくさんな内容で、今でも取り出してよく参考にしています。
子供はお料理が大好きです。私が仕事に出ている間は、うるさく言われないのをいいことに、不思議なものを作って食べていたみたいです(笑)。
子供らを楽しませてもらって感謝しています。受信料払ってますから、いい番組お願いしますね。
January 04, 2005
「めでたしめでたし」と書かせてください。
初公開!!(かなり)若かりし日の写真です。アルバムからはがしたら少しやぶれました(^^;
手編みのセーターと運動靴に年代を感じます。
場所は京都市内某寺院です。どこか場所を当ててください。正解は↓に。
何回も記事のなかで紹介させていただいています、福音館書店の相談役でいらっしゃる、松井直氏のお書きになられた「絵本のよろこび」(日本放送出版協会 「NHK人間講座」のテキストに加筆・作成されたものです)のあとがきに「『あなたのなかに隠れひそんでいる"子ども"をできるだけ鮮明に思い出してください。それが子どもを見るときの大切な手がかりになります』と会合などで話す事があります。多くの大人は、自分のなかのかつての"子ども"を見失っていて、眼の前の子どものことが見えず、また心が通じ合いません。
大人になって失ったものが、子どもの絵本のなかにはゆたかにいきいきと語られています。特に子どもをしっかりとみつめて表現されている絵本、子どもが心から歓ぶ絵本を読むと、大人になっていつの間にか見失っていたもの、感じなくなっていた気持ちに気づかせてくれ、こだまのような声が返ってきます。これは大人の読者を意識した絵本ではなく、子どもに真正面から語りかけている絵本に秘められた力です。」とあります。
この本は「本としての絵本」「絵本と読者論」と言った多面的な問題の提示を中心に書かれています。
この中にはご自身の、戦争体験にもとづく「生きるとは、どういうことか」と言った問いかけや、最近の子どもによる子どもの殺人事件、と言う傷ましい現象にまで話が及びます。
文中に「核家族化が進んだ現在、子どもが育つとはどういうことなのか、という知識の蓄積がなくなってきました。そのために、若い親たちは頼るべき伝承がないので、不安になり、臆病になってきているのだと思います。そういう現代だからこそ、伝承されてきた昔話からのメッセージに耳を傾けなればならないと思うのです」(世田谷文学館「昔話と昔話絵本の世界展」図録・小沢俊夫)と引用されています。
続けてその昔話である、「桃太郎」をご自身が、出版されるまでの経緯を書かれています。
「戦後、アメリカ文化が怒涛のように押し寄せる渦中で、日本人は改めて『日本とは何か』『日本文化とは何か』を再確認する必要に迫られました。新しく平和な文化国家を」建設しようとするときに、一体何を拠り所にすればよいのか、敗戦で喪失したアイデンティティをどのように再構築するかが問われました。そうした民族としての問題意識が、真剣に未来を見つめて児童文学にかかわる人たちの間に、『昔話』を日本の民族文化として再評価する動きとなって現れました。」
氏が再話された「ももたろう」(赤羽末吉画 福音館書店)の桃太郎は「たからものは いらん」と敗れた鬼の首領に拒絶します。
「現代的にいえば、異民族異人種て゜独自の文化をもった者たちです。鬼の差し出した宝物は、その文化の象徴です。桃太郎は鬼を改心させ、お姫様を救出しに行ったのですから、その目的が達成できた今、戦利品として宝物を持ち帰ったのでは、戦争をしたことになってしまいます。もう戦争は真平御免という気持が私にはあります。戦争の結果として、相手方の文化財を戦利品として持ち帰るような歴史は、もう繰り返したくありません。"人のものは人へ"、"鬼のものは鬼へ"です。」
"人の命は人のもの"です。某大国大統領にこの絵本をプレゼントしたいくらいです。あっ、やっぱり自分で買ってください!
December 19, 2004
500ルピーは1,190円です。
仙田満著「子どもとあそび」(岩波新書)の中からⅢ世界のこども
ストリートチルドレンです。
「『サラーム・ボンベイ!』という映画を見た。インドの女流監督がボンベイのストリート・チルドレンを描いている。
主人公のクシュリナという男の子は、貧しさのため田舎の母親にサーカスにあずけられたが、一人置き去りにされ、ボンベイに出てきてお茶売りをやっている。字もかけない、数も満足に数えられない。さまざまな都市犯罪と隣り合わせに路上で生活している。五〇〇ルピーを貯め、きれいな空気の田舎に帰りたいと思っている。良いことも悪いことも含めて、たくましく生きている。
彼が持つ「こま」だけが、まだ子どもなのだと証明している。今の日本の子どもたちからみれば、全く考えられないような環境である。このような子どもたちはストリート・チルドレンと呼ばれている。道であそぶのでなく、道で生活する子どもたちである。
いま、世界で一億人ともいわれる子どもたちが路上で生活している。その多くは発展途上国の子どもたちである。
流通経済の浸透で急速に農村経済が破綻し、伝統的な農村社会は崩壊し、農村の人口が都市に流れていく。そこにスラムが形成され、路上生活者が増大していく。
かつて日本にも路上で生活する「浮浪児」がいた。戦争直後、焼け出され、親を失った子どもたちが都市にあふれでたのである。英国の産業革命期にも、都市に農村の貧困層が流入し、多くの浮浪児がいたという。社会の激変期の犠牲者はいつも子どもたちである。
この映画に子どものあそびはほとんど出てこない。クリシュナが最初と最後に「こま」であそぶ。監督は「こま」に大きな意味をもたせていると思えた。この映画は、暗い絶望的な未来を暗示してはいないようだ。多分、クリシュナがたくましく切り開いていってくれるのではないかという期待が、こまあそびに託されているように思える。
あそびとは人間にとってゆとりであり、希望である。子どものあそびとはいつの時代も希望の代名詞なのだろう。ぎりぎりの環境で生きているクリシュナにとって、「こま」は「希望」をあらわしている。一方、日本の多くの子どもたちは、経済的には豊かだがあそびを失っている。
この映画はあそびを子どもたちに失わせている私たち大人の責任を問う映画でもある。」
探したのですが、まだこの映画を見ることができていません。あらすじもサイトの方にあるのですが、仙田氏がおっしゃられている内容に沿うものではありません。そのため全文をそのまま載せさせていただく事にしました。
引用の範囲を越えているとおしかりをうけるかも知れませんが。
私が以前見たボンベイの街は、ごく一部の光のあたる場所だったと思います。それでも私にとってはショックでした。
そして私にはその向こうにある、もっと多くの事が見えていなかった事をこの本で知りました。
*私がボンベイに行ったのは、この映画が撮られるよりもう少し前でしたが、ポンド500円、ドル230円くらいだったと思います。
追記:前に書かせていただいた映像詩「里山」をここでもう一度紹介させていただきます。映像詩と言うだけあってとても美しい自然が映し出されています。その中に川で無心に魚を追う子どもたちのいきいきとした表情がとても印象的でした。NHKスペシャルで再放送される機会があれば是非ご覧ください。
December 18, 2004
かくれんぼするものこのゆびとまれ♪
小学校に入った頃から、そろばん、お習字、学習塾(お寺が教室で、まるで寺子屋でした。)と習い事にも通いました。
でも、今の子どもたちの塾通いとは、比べものにならないのんきさでした。記憶の大半は、近くの神社仏閣で走り回って遊んでいた事です。
夏は本堂の板の間に寝そべると、冷たくて気持ちよく、のどが渇くと、信徒さんのために用意された冷茶をいただきました。
給食で残したパンを鳩に食べさせたり、広い境内はかくれんぼをするには、十分すぎる広さでした。
先日の筑紫哲也さんの講演のときに、「日本中から子供の姿が消えた」とおっしゃっていました。それは都会にだけ言えることではないそうです。
「これほど子供の遊んでいる姿を見かけない国は、世界中どこにも見られない」とも。
「子どもとあそび」仙田満著(岩波新書)の前書きに「ある建築家は『子ども時代とは、個性に最も影響する時代、体験の重要な時代である』と言っている。『私たちの子供時代は、さまざまな直接体験ができた時代。それに比べ今の子どもたちは、テレビやテレビゲームで疑似体験しかできない』と心配している。
今の子どもたちにとっての原風景とはどういうものになるのだろうか。もしかしたら、テレビの中にしか原風景が存在しなくなってしまうのだろうか。」とあります。
この本は92年の発行です。日本中がわいた不動産投資で、不良債権が著しく増大していった頃です。






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