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November 27, 2010

石積みの門前町

 大津周辺で紅葉を観るなら、比叡山延暦寺日吉大社の門前町として栄えた坂本の町並みを歩くのがオススメと何かで読みました。
 私が育った町にも電柱と同じくらいの数ではないかと思うほど、大小のお寺がありますが、同じ門前町でもずいぶん雰囲気が違います。

 この独特の石垣は、大津市歴史博物館のサイトに「大小の整形していない自然石を巧みに積み上げたもので、堅固に積むことから、城の石垣などに利用されたという。延暦寺の門前に開けた坂本の町には、同寺の里坊が点在しているが、その町並み景観を特色の付けているのが、この穴太衆積み石垣である。」と解説があります。

 ここは普通のお宅(?)のようで、失礼かなと思いましたが、その石積みと白い壁に紅葉が映えて綺麗でしたから。
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 これは、一つ前の記事に紹介した本で、坂本の町について書かれているところですが、これも“目からウロコ”でした。

 もともと坂本は比叡山延暦寺の門前町として栄えていたのですが、中世にあっては港町としても機能していました。荷揚げされた荷物はふたたび船に積み込まれて新たな地に向けて湖上を運ばれるものもありますが、ここから陸路が利用される場合もありました。
 それら陸路の輸送を担っていたのが、馬借や車借と呼ばれていた人々です。彼らは鎌倉時代末期に発達した運送業者です。今で言えば高速道路を行き交うトラック輸送にあたるでしょうか。
 彼らは普段は農業を生業としていますが、農閑期など必要に応じてこの仕事に従事していたということです。当時、彼らは延暦寺の支配下にありましたが、その勢力が大きくなるにしたがって自らの主張を力で示そうと蜂起します。借金を棒引きにしてもらうための徳政令を求めて大規模な一揆を起こしたことは有名です。
 このように、人と物が行き交うところには、お金が集まります。延暦寺はこれらの流通経済に目を付け、湖上に関を設けて通行税を取ることを思いついたのです。以後、この税は延暦寺の重要な財源となっていきます。ちなみに、坂本~武佐の船賃が二十二文(現在の千五百円程度)に対し、関銭は百四十文(現在の八千五百円程度)であったといわれています。いつの時代も、商いにはお金がかかり大変だったようです。
 そういうこともあり、港では日吉神社の僧が、白壁の大きな倉を構え、その中で商売などに必要なお金を貸す金融業を始めています。これが土倉とよばれるものです。

 老舗のお蕎麦やさんのお店の由来に書かれていた、「坂本はかつて三塔十六谷、三千坊といわれた比叡山延暦寺の台所を預かる門前町として栄え、参詣の人々で賑わいました。」を読んでも、頭の中に浮かぶイメージが、少し変わってしまいます。(^^;

 京阪の駅前に停まっていたバスに「古墳前」と行き先表示がありました。京都にも古墳や天皇陵はたくさんありますが、珍しいものを見たような気になるのはどうしてでしょうね。
 御陵(ゴリョウ)~町、近鉄京都線の桃山御陵(ゴリョウ)駅、市営地下鉄の御陵(ミササギ)駅等々と地名にもなっているのですが。
 こちらの古墳は、ニュータウン内の公園にあるそうですから、日常的に立ち寄ることのできる身近な場所なのでしょうね。

 観光のために歩く人の姿が絶えませんでしたが、それでも静かな雰囲気の漂う町でした。見所はいっぱいありそうで、今から春が楽しみです。(^^

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