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March 10, 2006

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 去年の夏に古い本の整理をして、全部箱詰めしました。それでも、ときどき思い出しては、何冊かずつ、ごそごそ取り出して読みたくなります。
「言葉と人間」加藤周一 (朝日新聞社)
 この本は、一度記事に書いたことがありますが、1975年から1976年にかけて朝日新聞の学芸欄に連載されたものを、1977年にまとめられたものです。
 その中の 偽善的であることの大切さまたは『ローマ帝国衰亡史』の事 から少し。

 一般に政治家に期待できる最高の美徳はおそらく「偽善」だろう、と私は考える。偽善は、少なくとも「善」または大義名分に表向きの敬意を示すことを、前提とする。裏向きもそのままでは政治が成り立たぬだろうから「偽」善である。表向きにも大義名分を通さぬ場合は、偽善にさえ及ばない。ヒットラーは偽善者ではなかった。
 ひるがえって思うに、今日の日本の政治に偽善を見ることは少ない。たとえば近い政争の一つに治安維持法裁判の判決、をよりどころとして、今日の政党が日本共産党員の戦前の罪を鳴らそうとした例がある。非難の相手は、「スパイ」を送り込み多数の共産党員を拷問して死に至らしめた権力ではなく、「スパイ」を送り込まれ容疑者拷問の自衛手段をとらざるをえなかった共産党員である。攻撃の目標は、外には侵略戦争を、内には治安維持法の濫用」を推進した責任者ではなく、一貫して戦争に反対した数少ない日本人であり、治安維持法の体制そのものに反対して戦った人間である。それでも非難攻撃する側はみずから戦前の体制をではなく、その否定の上にのみ、、成り立ち得るはずの今日の体制を支持する、という。
 これでは表向きの話としても全くすじが通らないだろう。すなわちそこには偽善の前提さえもなりたっていない。偽善以前。わが日本国の政党の行動として、これはまことに残念なことである。
 私は昔二年ばかりの間、西ドイツに暮らしていたことがある。私はまたいくらかその国の言葉を解する。しかし西ドイツで、ナチに反対してナチの裁判で有罪とされた政治家を、別の政治家がその戦前の判決を根拠として追及しようとした例を、聞いたことがない。それはじっさいになかったばかりでなく、おそらく誰も想像さえしなかったことだろう。むろんその背景には彼我の国情のちがいということもある。たとえばかの国では、ヒットラー戦時内閣の閣僚が、戦後に多数党の総裁や政調会長には到底なりえなかった。

 最後のところ、何度読んでも、たとえバカの国でも・・・に見えます(困) これは昨日エントリーするつもりだったのですけど、重ねて気が抜けました。

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Comments

「表向きにも大義名分を通さぬ場合には、偽善にさえ及ばない」まさに、こんな事例に事欠かない最近の日本が情けないですな。
「ガセネタ」を根拠に軍隊を持たないはずの国が「派兵」をした結末を、どうつけるのか。わしゃ、ずっと頭が痛いんですが・・・

Posted by: 龍3 | March 11, 2006 at 00:49

本当に、もう十分すぎます。
http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY200603090525.html
いくら違うと言っても、現実ですね。

Posted by: winter-cosmos | March 11, 2006 at 22:41

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