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December 19, 2004

500ルピーは1,190円です。

 仙田満著「子どもとあそび」(岩波新書)の中からⅢ世界のこども
ストリートチルドレンです。
 「『サラーム・ボンベイ!』という映画を見た。インドの女流監督がボンベイのストリート・チルドレンを描いている。
 主人公のクシュリナという男の子は、貧しさのため田舎の母親にサーカスにあずけられたが、一人置き去りにされ、ボンベイに出てきてお茶売りをやっている。字もかけない、数も満足に数えられない。さまざまな都市犯罪と隣り合わせに路上で生活している。五〇〇ルピーを貯め、きれいな空気の田舎に帰りたいと思っている。良いことも悪いことも含めて、たくましく生きている。
 彼が持つ「こま」だけが、まだ子どもなのだと証明している。今の日本の子どもたちからみれば、全く考えられないような環境である。このような子どもたちはストリート・チルドレンと呼ばれている。道であそぶのでなく、道で生活する子どもたちである。
 いま、世界で一億人ともいわれる子どもたちが路上で生活している。その多くは発展途上国の子どもたちである。
 流通経済の浸透で急速に農村経済が破綻し、伝統的な農村社会は崩壊し、農村の人口が都市に流れていく。そこにスラムが形成され、路上生活者が増大していく。
 かつて日本にも路上で生活する「浮浪児」がいた。戦争直後、焼け出され、親を失った子どもたちが都市にあふれでたのである。英国の産業革命期にも、都市に農村の貧困層が流入し、多くの浮浪児がいたという。社会の激変期の犠牲者はいつも子どもたちである。
 この映画に子どものあそびはほとんど出てこない。クリシュナが最初と最後に「こま」であそぶ。監督は「こま」に大きな意味をもたせていると思えた。この映画は、暗い絶望的な未来を暗示してはいないようだ。多分、クリシュナがたくましく切り開いていってくれるのではないかという期待が、こまあそびに託されているように思える。
 あそびとは人間にとってゆとりであり、希望である。子どものあそびとはいつの時代も希望の代名詞なのだろう。ぎりぎりの環境で生きているクリシュナにとって、「こま」は「希望」をあらわしている。一方、日本の多くの子どもたちは、経済的には豊かだがあそびを失っている。
 この映画はあそびを子どもたちに失わせている私たち大人の責任を問う映画でもある。」

 探したのですが、まだこの映画を見ることができていません。あらすじもサイトの方にあるのですが、仙田氏がおっしゃられている内容に沿うものではありません。そのため全文をそのまま載せさせていただく事にしました。
 引用の範囲を越えているとおしかりをうけるかも知れませんが。

 私が以前見たボンベイの街は、ごく一部の光のあたる場所だったと思います。それでも私にとってはショックでした。
 そして私にはその向こうにある、もっと多くの事が見えていなかった事をこの本で知りました。

 *私がボンベイに行ったのは、この映画が撮られるよりもう少し前でしたが、ポンド500円、ドル230円くらいだったと思います。

追記:前に書かせていただいた映像詩「里山」をここでもう一度紹介させていただきます。映像詩と言うだけあってとても美しい自然が映し出されています。その中に川で無心に魚を追う子どもたちのいきいきとした表情がとても印象的でした。NHKスペシャルで再放送される機会があれば是非ご覧ください。

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