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December 31, 2004

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

14hiki_no_samui_fuyu
 いろいろな方とお話できて、楽しい二ヶ月間でした。blogを始めて本当に良かったと思います。
 「今年の漢字」が「災」だと言うくらい、本当に大変な一年でした。
 来年の漢字が、転じて「福」となりますよう、お祈りさせていただくとともに、お世話になった皆様方の、来る年が良き年でありますように。
 
 最後に一冊ご紹介。かわいい絵柄で、このシリーズは大変ファンの多い絵本です。
 子どもらが小さい時に我が家では、"てんとうむしを探せ"に夢中でした。
 細かく描かれた絵の中に、越冬するてんとうむしが隠れています。一度お探しになってください。はまります(笑)。

「かぜが なる、ゆきが まう。さむい ふゆ
 ストーブ もえてる、あたたかい へや。
 みんなで なに つくってる?」 
「14ひきのさむいふゆ」いわむらかずお 童心社
 

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December 30, 2004

本を買うなら♪・♪・♪

 前の記事にも書きましたが、本当に本は場所をとります。それに新刊本、最近は文庫本でも安からぬ値段で、ちょっと躊躇するときがあります。
 う~ん。まあいいか、あとでブックオフに持って行けば、たとえ100円でも返ってくるしー。なんて理由で買っちゃうときもあります。
 こんなの(?)読んだのばれたら、恥ずかしいなーなんてときとかも(笑)。
 姉なんか、いいお得意さんだと思います。文庫本をもう何箱分も売ってますから。わかっていても、なかなか本は、古紙といっしょには捨てられません。

 買う側としても、ベストセラー本なんかは、大量に持ち込まれるでしょうから、少し待てばかなり安く買えますし、稀に雑誌のバックナンバーなんかでも、欲しかったのが並んでいるときもあります。

 今、売りに行けば豚丼無料券ももらえるし、いいかもです。あーなんか宣伝したみたい無料券くださーい。

*知らなかった。こんな事もしてたんですね。

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December 29, 2004

あとがきも素敵です。

1000cello 
 owlさんに触発されて、私もまた年末だと言うのに本屋さんへ(自転車で往復12km)走ってしまいました。執念です(笑)。
 ありました、欲しかった本が。お店の宣伝をしたいくらいです。
 児童書もどっさりです。このお店はパソコン関連の本をたくさん置いているので、最近何回か行っていたのですが、児童書は素通りしていました。

 「茶色の朝」フランク パヴロフ・物語 ヴィンセント ギャロ・絵
高橋哲也・メッセージ藤本一勇・訳 大月書店
これも店員さんに言えば、すぐ検索して持ってきてくださいました。

 ↑一冊、衝動買いしてしまいました。
 「1000人のチェロ・コンサート」阪神淡路大震災復興支援チャリティーのコンサートのお話です。このコンサートはテレビでも放映されますし、ご存知の方も多いかと思います。
 帯に書かれたことばに、吸い寄せられるように、手にとりました。本は表紙や装丁を見るのも楽しみです。
 そんなに高価な本も買いませんが、何て綺麗な装丁なんだろうと思うときがあります。これはネットではなくお店で買う楽しみです。
 図書館の本は、ブッカーがかけてあるので、もとの姿が見られない時もありますし、カバーがはずされてしまっているときもあります。
 あまりにも当たり前ですけど、いい本を作り続けてもらおうと思えば、売り上げに協力しなければなりません。
 財布の中は少し寂しくなりましたが、寒風が吹く中、また心はホカホカで帰ってきました。

 「しえんコンサートにむかって、ぼくはひく。ぼくのおとがなにかのおうえんになるんだろうか。
 でも、きょうもやっぱり、ぼくはひく。コンサートのため、それだけだろうか。
 ぼくは、なににむかって、こんなにれんしゅうしているんだろう。あのこは?おじいさんは?」
「1000の風1000のチェロ」いせ ひでこ 偕成社


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December 28, 2004

初めの一歩、第一歩♪

 また大変な災害が起きてしまいました。邦人の方もたくさん犠牲になっておられるようで、アジアに旅行へ行くのが大好きな友人にも、思わずメールをしてしまいました。

 阪神大震災からもうすぐ十年となります。震源から遠く離れた京都でも、大変強い揺れを感じ、本当に恐い思いをしました。
 幸い家屋や人的な被害もほとんど受けることなく、私たちは今日まで過ごしてくることができました。
 実際に被災された方、大切な方を亡くされた方、まだ傷が癒えることのない方は、たくさんいらっしゃると思います。
 大切な方にたいしての思いは、日常にまぎれてしまうことはあっても、消える事はありません。

 昨日とても素晴らしいコメントをいただきました。サイトの方にもとても良い記事を書かれておられます。
 私も今こうやって記事を書いていて、イマジネーションの世界だけ広げているんじゃないかと、正直とても不安でした。
 「茶色の朝」と言う言葉が目に入りました。以前にかなり話題になった絵本のようです。検索して見ると、詳しく書かれたブログがありましたので読ませていただきました。

 平和を守るために何か行動を起こすとか、災害地へボランティアにかけつけたり、たくさんの寄付をしたりと言ったことは、現実には難しい部分があります。でも何らかの形でかかわること や、思い続けることは誰にでもできるはずです。そしてそれは決して自己満足ではないと思います。

 昨日の私の記事に、↓の童話と父は重なるところがちょっとあると書きましたが、現実に父が体験した戦地での事は、あまりに過酷で、母にさえ話す事ができなかったことを、最後に付け加えさせていただきます。

追記:以前紹介させていただいた「国境無き医師団」が今回のスマトラ沖地震などへの緊急支援のため、寄付を募っておられます。まず「知ること」をお願いいたします。
一日50円キャンペーン 
インターネット寄付   
その他          

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December 27, 2004

”弦は銃よりも強し”でしょうか。

tukiyo_no_violin
 年末大掃除と思いつつ本棚を眺めたら、また「萩尾望都」の文字が(笑)。
 「月夜のバイオリン」これも古い本なので、表紙もすっかりやけてしまっています。お見せするにはしのびないのですが、検索して見ると、ちょっとレアのようなので紹介させていただきます。
 十七篇の童話がおさめられています。このタイトルになっている「月夜のバイオリン」は、また戦争中の話なのですが、ちょっと私の父にかさなるところがありましたので。

 小さい頃両親をなくして、きびしいおじいさんに育てられた青年は、十七歳で学校を卒業、会社勤めをし、そのお給料でバイオリンを買います。
 青年は女学校を出たばかりの少女と婚約しますが、戦争が始まり船に乗り戦地へ行ってしまいます。
 船は南の町ラングーンへ着きます。大通りで楽器店を見つけた青年は、疎開している店主を爆撃のなか探し出し、店で一番のバイオリンを買います。
 「ヒミツヘイキデス」と戦地を移動するときも大切に携えます。やがて敗戦を迎え、捕虜収容所へ。
 年月をへて祖国に戻ることのできた青年は、婚約者のもとへ帰りつきます。そしてささやかではありますが、幸せに暮らします。

 『青年はこんどは日本から、遠いビルマやジャワの空を思って、バイオリンを弾いた。会った人や別れた人を思い異国ですごした青春の年を思い、月を見て故郷や少女をしのんだ、遠い、日々のことを思い出しながら。』
「月夜のバイオリン」萩尾望都童話の世界 萩尾望都 オリオン出版

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December 26, 2004

今年のことは、今年のうちに。

invitation チェリストのMischa Maiskyの事を記事に書いていらっしゃる方があり、久しぶりに「Invitation from MAISKY」を聴きました。
 ベストアルバムなので、以前紹介させていただいたカザルスの「鳥の歌」などおなじみの曲ばかりです。

 私はこのアルバムの中ではアンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー)が好きです。
 少し前ですが、イリヤ・ムーシン氏が亡くなられた時に、この曲を西本智実さんの指揮で聴きました。
 たまたま前から二列目くらいの席だったので、西本さんの背中から、演奏者の方の表情から、心情が痛いほど伝わってくるように思いました。

 そのほかに「G線上のアリア」(J.Sバッハ)も追悼の意味で演奏されるのを、何度か聴かせていただいたことがあります。 はっきり覚えているのは、良子皇太后が亡くなられた時です。来日されていたどこかの楽団(それは覚えていないのに)が演奏されたのを聴かせていただきました。 
 最近では中越地震の被災者の方々のために、小澤征爾さん指揮の水戸室内管弦楽団が演奏されるのを、テレビのニュースで見ました。

 この曲がお悔やみの意味で演奏されるのはどうしてなのか、なんとなく気になっていました。息子が私なんかよりクラシック音楽に詳しいのですが、知らないそうです。こんな事にこだわるのは私だけかも知れませんけど(笑)。 
 そんな事を言いながら、プロコル・ハルムの「青い影」に次の話題が移って話しはつきません。
 
 こんな事ばかり考えてないで大掃除しないと(汗)。

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December 25, 2004

いい子にしてましたか?

merry_xmas
ねえ、ほんとうにいるの
いるよ
サンタクロースはね
こどもを よろこばせるのが
           なによりの たのしみなのさ

           だって こどもが しあわせなときは
           みんなが しあわせなときだもの

           サンタクロースは ほんとにいるよ
           せかいじゅう いつまでもね

           「サンタクロースってほんとにいるの?」
           てるおか いつこ:文 すぎうら はんも:絵
           《かがくのとも傑作集》福音館書店

私たち、ずっとお父さんお母さんの子どもです。

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December 24, 2004

「ダイジオヘン・コト・オヘン」です。

 朝日新聞12月23日の1面に《「捜査怠惰で死亡」認定 神戸・大学院生殺害 「県などに賠償命令」「地裁判決『警察予見できた』」》と載っています。
 被害者のお母様にすれば、怒りをどこに向けたらいいのか、そして判決がこのようなものでも、悲しみは癒えることはありません。 
 記事の中に桶川事件の御遺族のコメントも載せてありました。お辛いことだと思います。
 
 このような事件と比べようがなく、申し訳ないのですが、五年ほど前のことです。
 朝、出勤のために駅に向かう途中、いつからか同じ場所で、同じ男性とすれ違うようになりました。
 向こうは自転車です。反対側を走っているのに、わざわざこっちに寄って来られるような気がしてきました。
 そのうち、会う場所がだんだん家に近づいてきて、とうとう家を出たら、前にその人の姿が見えます。後ろから来て、身体を摺り寄せていかれたりもしました。
 家族に言っても気のせいだと言って、取り合ってもらえないので、仕方なく近所の交番に行きました。
 巡査が言われるには、胸などをさわられでもしないかぎり、被害届はだせないからどうしようもないそうです。
 そう言いながらも、次の朝から家の前を巡回していただける事になり、数日後、その人を職務質問と言う形で捕まえてもらう事ができました。

 私よりは少し年下で、軽い知的障害のある人でした。あちらも仕事に行かれる途中だったそうです。何もなかったと言えばそうなのですが、しばらく後ろから自転車が来ると、背筋が寒くなりました。当事者にしかわからない恐さです。

 近くの交番は、まだこまめに動いていただいているようです。
 息子の自転車が無くなって、届けを出しましたが、しばらくして近くの路上で見つかりました。
 駅の駐輪場でその自転車に乗ろうとしたら、後ろからお巡りさんに呼び止められたました。
 見つかった事を届けていなかったので、盗難車に乗っていこうとしていると思われたそうです。
 些細な事ですが、ちゃんと見ていただいているんだと思うと安心しました。

 この日の社説に「市民に接する警察官は暴力団から人々を守る義務がある。兵庫県警だけの問題ではない。全国の警察は研修などを通じて、この基本を徹底してもらいたい。
 浦中さんの母親は妊娠中毒に苦しみながら、帝王切開をして命がけで邦彰さんを生んだ。調書のこのくだりを刑事裁判で読み上げた検察官は、感極まって涙を流して審理が中断した。
 一人ひとりの命がいかにかけがえのないものなのか。それを警察官はどれほど重くとらえているだろうか。」とあります。
 これはみんなの問題です

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December 23, 2004

「へんこ」です。

 いつもは夜中に、アップしてたのですが、夕べはまとまらなくて、寝てしまいました。

 その1 本屋さんで
 細々と買いたい本がたまっていたので、市内で(たぶん)一番売り場の広い本屋さんに行きました。買おうと思ってた本はどれも見当たりません。店員さんは名前すら知りません(涙)。
 あちこちにお店を出している、もう一軒にも行きました。やっぱりありません。
 全店検索してもらってもありません。ついでにAmazonで見てもらったら、当たり前ですけどあります。
 文庫本とかペーパーバックの本ばかりで、そんなに珍しい本ではないと思うのですが。
 本は手にとって「欲しい♪」と思ったものを買う、と言う私の変なこだわりがあるので、ネットで買えないのです。
 いいよ、いいよ、図書館でリクエストして買ってもらうから、と悪あがきをする私でした。
 owlさん「モーさま」なかったの。(;_;)

 その2 「痩せたね~」
 ダイエットをしているわけではありません。二ヶ月ぶりに会った友達に言われました。食欲がないわけではないのですが、あまり食べられなくて体重が下降ぎみでパワーダウン。

 その3 天使の歌声
 昨日のメインは燭火礼拝に行く事でした。パイプオルガンの音色と聖歌隊の歌声に、しばしよいしれました。本来の目的からははずれるでしょうから、信仰心の篤い方からは叱られそうですが。
 一年間練習を重ねて、彼らには晴れの日でもありますから、出し切ってほしいな、と言う思いが私にはあります。
 そんな彼らを照らすのは、一本のろうそくの灯りです。
 とてもいい時間を過ごさせてもらって、真っ暗な夜道を心はホカホカで帰りました。

 帰りの電車でもどれにしようかなーと考えましたが、結局日をあらためて書くことにしました。

 *宣伝みたいですけど、結構おいしいです。「へんこのごま油

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December 22, 2004

「ブックピープル」です。

 owlさんのサイトで漫画談義に花が咲きました(ちょっと恥ずかしいので、今回はリンクをはらせていただいてません)。

 実はその前に、ぽた郎さんのエントリーで「萩尾望都」の文字を見つけて、はしゃいだあとだったんです。
 次の日「ウは宇宙船のウ」(小学館文庫)を買いに行って、懐かしい「モーさま」の世界に浸りました。

 私がその中の「みずうみ」を好きだったのは、絵の綺麗さもですが、ことばの響きがいいからです。これはブラッドベリの原作と言うこともあるのでしようけど。
 77年の作品です。びっくりするほど前のものなのに、ぱっと頭の中に記憶がよみがえりました。

 うちに手塚治虫全集が100冊ほどあります。買い始めたものの、あまりにたくさんなので、途中でストップしてしまいました。最終的に498冊発行されたようですね。 
 私の以前の記事で、手塚さんのある漫画が連載されたときに、その雑誌が一冊も売れなかったと書きました。それは「アポロの歌」です。
 なーんだと思われるかも知れませんが、当時はすごい影響力だと、子どもごころにも思いました。この本は、今なら図書館にでも蔵書されています。
 
 図書館に漫画が入るきっかけになったのは、何だと思われますか?みなさんよくご存知の「はだしのゲン」だそうです。

 「『少年ジャンプ』という、一部には俗悪といわれて不買運動まで起きた雑誌の中に載っていた、その『はだしのゲン』という原爆のことを扱った漫画が多くの読者の支持を受けていたけれども、圧力がかかって連載が中止になり、そこの出版社では単行本として出版されない状態でいたときに、その漫画を単行本化する動きが起きました。(中略)単行本化と同時に、当時日教組にその本の普及活動への協力を求めて、日教組さんがそれに応えて、学校図書館や学級文庫にそれを置くという運動を展開したということがあります。そこから実は漫画が公共図書館へ広がるきっかけになったのです。」
(表現の自由から図書館を考える《図書館の自由に関する宣言採択40周年記念シンポジウム記録》社団法人日本図書館協会発行より引用)

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December 21, 2004

「よそみしんとき」

 京都くらいだそうですね。街に着物姿の人が歩いていても、珍しく感じないのは。
 それでも、もっと着る機会を増やすべく、着物を着ていく事を条件の無料のクラシックのコンサートが開かれたりします。
 また公式の場では桝本市長は、いつも和服をお召しです。
 
 最近、テレビで京都市地球温暖化対策条例成立のニュースが伝えられたとき、市長をご覧になられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
 京都の節約する、物を大切にすると言う意味の「始末」と言うことばが、私は好きです。今回の条例にも通じるもののように思います。

 京セラの本社ビルをご覧になられた事はありますでしょうか?
 このビルは今の時期、東・西側の壁面が、大変大きなクリスマスツリーになります。
 大きなビルですのでかなり遠方からでも眺める事ができると思います。実際にご覧になって驚いていただきたいので、写真はアップしません。

 *タイトルは市内某所に書かれている交通標語です。決して運転中に探さないでください(笑)。

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December 20, 2004

be動詞 + -ingです。

 Wind Calmさんが書かれた記事の内容を、私も12月17日付けの朝日新聞の1面トップで読みました。
 
 少し古い本ですが、「言葉と人間加藤周一(朝日新聞社)そのなかの「言論の自由または『平民新聞』の事」から引用します。
 「週刊『平民新聞』の発行部数は、一九〇三年末に、八,〇〇〇、一九〇四年三月、開戦直後に、四,五〇〇、同年六月に三,七〇〇である。そのとき東京で第一位の『萬朝報』は、およそ一〇〇,〇〇〇部を出していた。週刊で、発行部数が限られ、わずか一年数ヶ月を生きのびたにすぎないが、この『平民新聞』こそは、戦時中の日本国で公然と反戦を主張した新聞として、空前絶後である。太平洋戦争中の日本には、公然と反戦を唱える刊行物が、存在しなかった。」(中略)
 「かくして『平民新聞』が日露戦争について指摘したことの多くは、そのまま第二次大戦にもあてはめ得るものであった。開戦と共に日本国民が『狂気』したこと、報道機関が『戦争を謳歌』して、相手国を『嘲罵』し、『軍人に阿諛』したこと、終戦の日に狂気が変じて悔恨となったのは、まさに『非国民』を以って呼ばれた少数者の、開戦当時の予言の如くであったことなど。・・・」

 この本は1975年から76年まで朝日新聞に掲載されたものをまとめて、77年に発行されました。受験勉強のために買ったものだったのですが、今このような状況で、読み直すようなことになるとは思いもしませんでした。
 歴史は繰り返すと言いますが、繰り返してもいい受け継ぐ歴史を、私たちが選ぶ事はできないでしょうか?
 この日の1面には他にいくつかの記事が載っていましたが、私はその他に掲載されているだろうと思っていた事があり、新聞を手にとりました。

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December 19, 2004

500ルピーは1,190円です。

 仙田満著「子どもとあそび」(岩波新書)の中からⅢ世界のこども
ストリートチルドレンです。
 「『サラーム・ボンベイ!』という映画を見た。インドの女流監督がボンベイのストリート・チルドレンを描いている。
 主人公のクシュリナという男の子は、貧しさのため田舎の母親にサーカスにあずけられたが、一人置き去りにされ、ボンベイに出てきてお茶売りをやっている。字もかけない、数も満足に数えられない。さまざまな都市犯罪と隣り合わせに路上で生活している。五〇〇ルピーを貯め、きれいな空気の田舎に帰りたいと思っている。良いことも悪いことも含めて、たくましく生きている。
 彼が持つ「こま」だけが、まだ子どもなのだと証明している。今の日本の子どもたちからみれば、全く考えられないような環境である。このような子どもたちはストリート・チルドレンと呼ばれている。道であそぶのでなく、道で生活する子どもたちである。
 いま、世界で一億人ともいわれる子どもたちが路上で生活している。その多くは発展途上国の子どもたちである。
 流通経済の浸透で急速に農村経済が破綻し、伝統的な農村社会は崩壊し、農村の人口が都市に流れていく。そこにスラムが形成され、路上生活者が増大していく。
 かつて日本にも路上で生活する「浮浪児」がいた。戦争直後、焼け出され、親を失った子どもたちが都市にあふれでたのである。英国の産業革命期にも、都市に農村の貧困層が流入し、多くの浮浪児がいたという。社会の激変期の犠牲者はいつも子どもたちである。
 この映画に子どものあそびはほとんど出てこない。クリシュナが最初と最後に「こま」であそぶ。監督は「こま」に大きな意味をもたせていると思えた。この映画は、暗い絶望的な未来を暗示してはいないようだ。多分、クリシュナがたくましく切り開いていってくれるのではないかという期待が、こまあそびに託されているように思える。
 あそびとは人間にとってゆとりであり、希望である。子どものあそびとはいつの時代も希望の代名詞なのだろう。ぎりぎりの環境で生きているクリシュナにとって、「こま」は「希望」をあらわしている。一方、日本の多くの子どもたちは、経済的には豊かだがあそびを失っている。
 この映画はあそびを子どもたちに失わせている私たち大人の責任を問う映画でもある。」

 探したのですが、まだこの映画を見ることができていません。あらすじもサイトの方にあるのですが、仙田氏がおっしゃられている内容に沿うものではありません。そのため全文をそのまま載せさせていただく事にしました。
 引用の範囲を越えているとおしかりをうけるかも知れませんが。

 私が以前見たボンベイの街は、ごく一部の光のあたる場所だったと思います。それでも私にとってはショックでした。
 そして私にはその向こうにある、もっと多くの事が見えていなかった事をこの本で知りました。

 *私がボンベイに行ったのは、この映画が撮られるよりもう少し前でしたが、ポンド500円、ドル230円くらいだったと思います。

追記:前に書かせていただいた映像詩「里山」をここでもう一度紹介させていただきます。映像詩と言うだけあってとても美しい自然が映し出されています。その中に川で無心に魚を追う子どもたちのいきいきとした表情がとても印象的でした。NHKスペシャルで再放送される機会があれば是非ご覧ください。

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December 18, 2004

かくれんぼするものこのゆびとまれ♪

 小学校に入った頃から、そろばん、お習字、学習塾(お寺が教室で、まるで寺子屋でした。)と習い事にも通いました。
 でも、今の子どもたちの塾通いとは、比べものにならないのんきさでした。記憶の大半は、近くの神社仏閣で走り回って遊んでいた事です。

 夏は本堂の板の間に寝そべると、冷たくて気持ちよく、のどが渇くと、信徒さんのために用意された冷茶をいただきました。
 給食で残したパンを鳩に食べさせたり、広い境内はかくれんぼをするには、十分すぎる広さでした。

 先日の筑紫哲也さんの講演のときに、「日本中から子供の姿が消えた」とおっしゃっていました。それは都会にだけ言えることではないそうです。
 「これほど子供の遊んでいる姿を見かけない国は、世界中どこにも見られない」とも。

 「子どもとあそび仙田満著(岩波新書)の前書きに「ある建築家は『子ども時代とは、個性に最も影響する時代、体験の重要な時代である』と言っている。『私たちの子供時代は、さまざまな直接体験ができた時代。それに比べ今の子どもたちは、テレビやテレビゲームで疑似体験しかできない』と心配している。
 今の子どもたちにとっての原風景とはどういうものになるのだろうか。もしかしたら、テレビの中にしか原風景が存在しなくなってしまうのだろうか。」とあります。
 
 この本は92年の発行です。日本中がわいた不動産投資で、不良債権が著しく増大していった頃です。

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December 17, 2004

オヤカマッサンドシタ

 12月10日付けの朝日新聞に「消えゆく京の町家」と言う記事が1面に載りました。
 「昭和初期の4分の1に」「1928年から比べて2000年には町家の4分の3以上が失われていることが、立命館大学の矢野桂司教授(地理学)の調査でわかった。・・・」とあります。 
 60年代以降、年平均100棟余りの減少で、バブル期を含む87~00年の間には1110棟、38%が消えたそうです。

 この調査範囲は市内でも繁華街やオフィス街である中心地です。近年ビルやマンション建設が、そこかしこでされていました。
 このあたりは、前にもお話したとおり、戦災で焼失したのではありません。
 その少し南の広い通りなどは、大戦中に空襲で火災が起きたとき延焼を防ぐため、女学生だった母たちも動員されて住宅を倒し、道路を拡幅したと聞いてます。
 
 京の町屋は「うなぎの寝床」と呼ばれる、間口が狭く奥行きの深い形状です。
 独立した個室がないので、今の暮らし向きには合わないかもしれません。 
 台所は通り庭にあり、冬は風が抜けると寒く、お勝手仕事もちょっと辛いです。子供の頃は、明り取りの天窓の闇が、とても怖かったのを覚えています。

 でも、実際に暮らしていると、良い面はたくさんあります。あれだけお隣と接して建てられていても、壁があついのと、その通り庭が居室との間にあったからでしょうか、お隣から生活音がする事はまずありません。

 市内は通りが狭いので、車があまり入ってきません。特に路地は子供の、いい遊び場でした。
 夕方になりお豆腐やさんのラッパの音、買い物に急ぐ人の足早な靴音が、町の活気として聞こてきます。
 子供たちは、遊ばせてもらったお礼を言って家路につきます。
 

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December 16, 2004

「オキバリヤスナー」です。

kyoto_kentei 
 京都検定に大変な人数が受験されたそうで驚きました。
 日本史を教えていても、答えられないんじゃないか?と思う難問もあったのでは。
 かろうじてお菓子と京都弁の問題なら、わかるかと思いましたが「エンバント」(あいにく)は知りませんでした。

 私も普段は京都弁まじりで話しています。と言っても、そういう場所に行けば別ですが、日常ではあまり耳にする事も、話す事もなくなりました。

 京都検定の公式テキスト↑にあるような京都弁で、まだ私の祖父や母は話していました。
 「上流婦人」ではありませんから「コンナンホンマノ京都弁ヤアラヘン(笑)。」とは母も言ってましたが。
 
 丁寧な京都弁は、言い回しが長いです。戦後、目まぐるしくなった生活スタイルには合わなくなったのかなとも思います。
 急いでいる時に「ヘエ、オマチヤシトクレヤスー」と言われたら悩むかも知れません。

 それに舞妓さんの「ヘエ、オオキニ」に例えられるように、thanksかNo,thanksなのかわからない、あいまいな受け答えがよくあります。

 私も以前それで、怒られた事があります。相手は女性です。どこかに誘ってもらったときに無意識に「オオキニ」と言ったと思います。
 「行きたいの?行きたくないの?どっち?!(怒)」たしかにそうです。「カンニンシトクレヤス」です。

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December 15, 2004

笑わないでくださいね。その2

 お星様は不言実行でいらっしゃる。洗濯日和の快晴と、金色の三日月がうかぶ綺麗な夕焼け空まで、早速ありがとうございます。

 来年の事を言うと鬼に笑われますが、2005年の1月16日(日)14:00より京都コンサートホール阪神淡路大震災十周年祈念のコンサートが開かれます。

 みやこフィルハーモニックチャリティコンサート
「地には平和を」~世界の震災遺児のために~
 ベートーヴェン:荘厳ミサ ニ長調 他

 《「みやこフィルハーモニック」は、音楽上の出身や世代、プロとアマチュアという立場の違いを越えて相互に融和協調しようとの意思の下に、管弦楽と合唱による声楽作品の演奏を目的として1991年に創立されました。
 96年より阪神淡路大震災の日にあたる1月17日に京都コンサートホールにて毎年、震災遺児のためにチャリティコンサートを行われています。
 チャリティコンサートでは、その趣旨に賛同する多くの音楽家が参加し、地元である京都市交響楽団を始め、多くのプロオーケストラのメンバーが参加されます。
 収益金は被災遺児の心のケア施設『あしなが育英会「レインボーハウス」』に贈られ、その活動を通じて阪神淡路はもとより、トルコ・台湾など世界の震災遺児を支援するために用いられます。》

 指揮者の方のお人柄でしょうか、たいへん和やかな雰囲気のコンサートです。
 毎年このコンサートで元気をいただいて帰ります。一人でも多くの方に、足をお運びいただきたく、ここに紹介させていただきます。

 *上記の内容につきましては、以前のコンサートのパンフレットから引用させていただきました。

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December 14, 2004

ちょっとふしぎです。

 夕べは街の灯りが消えていない九時頃でも、星がすっきり見えました。
 ぎょしゃ座のカペラとふたご座のポルックスだとか、すっきりと言っても一等星や二等星が少しだけですけどね(笑)。
 
 残念ながらキャンペーンの時間帯である、十時までに15分ずつ二回眺めましたが、結果はゼロ。
 再度、三時から四時に同じく15分ずつ二度眺めて、それぞれ一つずつ流れたところを見られました。 
 ベランダからではなく、近くの川原にでも行けば、もっとよく見えたでしょうが、これで満足することにします。

 owlさんのサイトで試験管立てが、素敵な写真になっているのを見せていただきました。
 昔からずっと欲しくて、それでいて何となく買えないものの一つにラジオメーターがあります。
 実験器具のお店にあるものなら、3,000円も出せば買えるのですが。
 
 子供の時から、何もしかけのないガラス球の中で、くるくる回る羽根を見ると、なんだかドキドキしました。
 じっと見ていると、意識がガラス球の中に入っていって、メリーゴーラウンドのようにまわっている気分になります。

 いい子(?)にしているのでサンタさんお願いできませんでしょうか・・・。駄目?そうですね。はい、自分で買います。

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December 13, 2004

あーしたてんきになあれ♪

 今日こそ見ます。「ふたご座流星群」が今晩ピークだとか。
 京都は山に囲まれているので、地平線近くの星は見えませんが、天頂を通るようなので見られそうです。

 「ふたご座流星群を眺めよう」キャンペーンなんてあるようですね。防寒対策をして参加されてはいかがですか。

 ウィンターコスモスは、ブログを始める少し前に、たまたまお花屋さんで見かけた花の名前です。

 白くてヒョロヒョロで、店先で風に吹かれていました。
 帰ってから調べて見るとコスモスではなくセンダングサの仲間だそうです。花言葉は調和・忍耐・こびない(笑)。
 
 冬の星空を連想できるので、拝借させていただく事にしました。

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December 12, 2004

先生お元気でいらっしゃいますか?

sorairo_no_tane 
 ひもで縛られ、追いやられていた絵本たちを、この機会に取り出して見る事ができました。
 なつかしいものあり、こんな内容のものも持っていたんだと、再発見ありです。

 福音館の月刊誌は、息子が生まれてから、こどものとも年少版に始まり、たくさんのふしぎまで、十年くらいの間買い続けていました。
 初めは予約制のお店で買っていましたが、今の住まいの近くの書店は、店頭に出しておられたので、買い忘れたりしているうちに、途絶えてしまったようです。

 ↑は子供のときに、一番好きだった絵本です。
 通っていた幼稚園で定期購読されていて、いただいたものを毎月ビニールバックで下げて帰りました。その中の一冊です。
 当時のものは残っていませんが、大人になってから、愛蔵版になっていたものを、みつけて買いました。
 「そらいろのたね」なかがわりえこ文、おおむらゆりこ絵《こどものとも》傑作集(福音館書店)です。

 他に「だるまちゃんとてんぐちゃん」(加古里子さく/え)、「ぐりとぐら」(なかがわりえこ文、やまわきゆりこ絵)《こどものとも》傑作集(福音館書店)と言ったなつかしいものが、今でもうちの本棚にあります。

 息子も好きだったようで、なかはボロボロです。ちぎれたところを、テープであちこち貼り合わせてあります。
 

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December 11, 2004

「たくさんのふしぎ」です。

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 久しぶりに買いたい絵本を見つけました。
 以前紹介させていただいた、京都市図書館のサイトの中の、「ブックリスト本のもり」小学校高学年編に選ばれています。
 「ひとしずくの水-A DROP OF WATERウォルター・ウィック/林田康一訳 あすなろ書房

 写真がとにかく綺麗です。クモの巣にできた露のしずくに上下さかさまに映った景色なんて、ご覧になられた事ありますでしょうか?

 中学校の理科で習うくらいの内容です。テストの時には、こう答えなくちゃと覚えたけれど、何のことだかわからなかったことが見えてきます。

 これはある広報誌に、作家の瀬名秀明さんが、最近講演された内容を載せてあったものです。
 「ここ数年、こどもが『理科離れ』をしていると言われています。しかし私が思うに、それは理科に限ったことではなく、『国語離れ』であり、『社会離れ』であり、『美術離れ』でもある。つまり、すべてに関心が薄れているように見えるのです。何かに対して面白いと感じた瞬間、それはすでに『学んでいる』瞬間であるはずなのに、この感覚をもてないことが原因なのではないかと思います。世界を深く理解したいという衝動は面白さにつながり、やがて学問へと発展していきます。文科系・理科系を問わず、これはどんな学問でも同じだと思います。」

 学力低下の原因は「子供が勉強しなくなった」と大臣はおっしゃいます。「競い合う教育」をして負けた子はどうしたらいいのでしょう。

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December 10, 2004

still echo

still_echo
 Ave verum corpusが好きで、さっきからもう一時間くらい繰り返し聴いています。
 クリスチャンではないのですが、クリスマスの燭火礼拝だけ毎年行きます。来年もこの場に来られますように、といつからか祈るようになりました。
 こんな事を考えるのも年かなと思いますけど、穏やかに過ごせる時間を持てるのが、とても贅沢をしているように感じます。

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私、短距離走は苦手です。

 「憲法と人権を考える集い」↓の筑紫哲也さんの演題は、「幸せのための多事争論」でした。多事とあるように、次々と話題を移していかれます。

 「ドッグ・イヤー」とおっしゃられました。フレンチブルドックの耳がぺこんと折れた顔が浮かびました。
 DOG YEARでした(笑)。続けて「マウス・イヤー」ネズミの時間もありますとおっしゃったので、わかりました。

 早くていいもの・悪いもの、遅くていいもの・悪いものの例えをあげられて、スピードだけでしあわせなのか?ゆっくりすることの価値を考える事が「スローライフ」であると。
 そして「緩急自在」と言う言葉をあげられ、自在なのですから、それは自分で考えていく事のように言われました。

 家へ帰ってから「絵とき ゾウの時間とネズミの時間」(本川達雄 文 あべ弘士 絵 福音館書店)を読み直しました。

 「小さい動物は、短い一生を全速力でかけぬけていくんだね。大きい動物は、ゆっくりのんびり生きていく。短くても、長くても、一生を生きぬいた感想は、あんがいおなじかもしれない。ネズミは早く死んでもかわいそうだなんてことはないんじゃないかな。」
 妙に穏やかな気分になりました。
 
 *質疑応答も含めると約二時間半の長時間、国際情勢から、ジャーナリズム・メディア論、京都の町並みの保存と、いくつものテーマについて話されました。
 聞き書きですので、昨日の記事についても少し悩みました。話された内容で、書籍になっているものもありましたので、また何かの記事で、少しずつ書いていければと思います。

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December 09, 2004

青い空は青いままで子供らに伝えたい

 日曜日に京都弁護士会主催の「憲法と人権を考える集い」に行って来ました。これは図書館にあったチラシで知りました。
 開場時刻には1000名の定員でしたが、ほぼ満席です。学生さんくらいの方から年配の方まで、年代・男女を問わず来られています。

 メインは筑紫哲也さんの講演ですが、前半は国境なき医師団の医師である黒崎伸子さんと、セイブイラクチルドレン名古屋代表の弁護士 小野万里子さんの活動報告です。
 団体のお名前は活字として拝見する事はあっても、お話を伺うのは初めてです。

 国境なき医師団は、政党や特定の法人などから資金援助を受けることで、おもねる事がないよう「資金の独立性」をかかげておられます。
 そして「武器をもたない援助」の重要性を訴えておられました。 
 武装した護衛がついたために標的となり、どれほど危険であったかと。

 小野万里子さんは、実際にイラクに行かれて、イラク人医師と会われ、子供たちの悲惨な状況をまのあたりにされます。
 そしてその方のお子さんが、回復の見込みのない状態だと言うのに、私の健康な娘に「神の御加護を」と言ってくださったと。
 場内からは、すすり泣きが聞こえてきました。

 「イラクには未来がない、生まれてくる子は奇形児ばかりで、たとえ無事に生まれて来ても、小児癌で死んでいくか、銃弾に当たって死んでしまう。子供が育たない国に未来はない・・・」その医師の言葉だそうです。

 奇形児で生まれた赤ちゃんや、小児癌の子供たちのお父さんは、湾岸戦争の時に、職業軍人ではなく、兵士としてかりだされた人達だったそうです。劣化ウラン弾で汚染された戦地におられました。 

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December 08, 2004

「遠い日の記憶」です。

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 岩波新書「本と私」(鶴見俊輔編)のなかの一篇「戦火のなかの一冊」(以下前書きより引用)
「まだ戦争のつづく一九四五年に、お母さんが本屋で見つけてきた『岩窟王』を、母とともに、戦時下の時勢にかくれて読む。この一冊は、その後六〇年、この人の中に生きつづける。
 著者アレクサンドル・デュマは、フランス人で、明治初期に黒岩涙香が紹介してから、何人もの訳者によって日本語に訳し継がれてきた。『岩窟王』という言葉そのものが、ひとつのたとえとして日本語の中に流れ込み明治・大正・昭和に語り継がれる。時の政府の圧迫をひとりでしのいで、生きつづける男は、そんなふうに呼ばれた。『ひとりになっても』という姿勢が立場を超えて、さまざまの人の心に共感を呼んだのだ。」

 母は戦争中、旧制女学校を卒業して銀行勤めをしていました。
 サザエさんのような髪をして、袴をはいて、帳簿は筆で書いて、なんとも、今では信じられない様子です。
 
 京都は空襲もほとんどなく、食料事情も不自由とは言え、それほど欠乏していたような話は聞きませんでした。
 でも活字には飢えていたそうです。活字が印刷されているものは、紙の切れ端でも夢中で読んだと言ってました。

 戦前の教育を受けた母です。あまり詳しくは言いませんでしたから、当時の事の断片的な話ですが、女学校の英語の先生が授業で「この戦争は必ず負ける・・・」とおっしゃったそうです。
 英字新聞をお読みになられていたので、圧倒的に経済力の差がある大国に、この国が立ち向かって勝てるわけがないと。
 
 *開戦当時ハーヴァード大学の学生として、アメリカにおられた鶴見俊輔さんの、戦前から戦後の日々を書かれたものに「わたしが外人だったころ」(月刊たくさんのふしぎ1995年7月号)があります。
 「どうして自分が生き残ったか、その理由はわかりません。わたしが何かしたために、死ぬことをまぬかれたというわけではないのです。なぜ自分がここにいるのかよくわからないということです。そのたよりない気分は、敗戦のあとでもつづいており、今もわたしの中にあります。今ではそれが、わたしのくらしをささえている力になっています。」 

 お近くの図書館に、バックナンバーとしておいておられるとよいのですが。

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December 07, 2004

「病床読書」です。

 思いがけず、去年入院する事がありました。
 普段は仕事関係の本や、資料に目を通すのに追われて、それ以外の本を読む事ができませんでした。休暇をもらったつもりで、まとまった小説を読む事にしました。

 以前から気になっていた、石川達三さんの「人間の壁」上・中・下(新潮文庫)と、あと軽く読めるものを少し荷物にいれました。
  
 「人間の壁」は昭和三十年代初めの地方都市が舞台です。
 長欠児童の家を訪ねて行くと、貧しくて着ていくものがない、履物が無い、子供も働き手としての役割があり、学校へ行く余裕がない。教育を受けさす必要を親が感じていない。
 そしてその貧しさは、生徒や家庭と言ったものにだけ、言える事ではありませんでした。
 そんな状況の中でも、何とかして子供たちに教育を、と苦悩される先生方の日々がつづられています。
 
 文中の、父兄会の席での男性教諭の言葉です。
 「明治時代、あるいはそれ以前の徳川時代の教育では、親がいくら横暴でも黙ってそれに従えと教えていました。そうして育てられた子は、自分が親になったとき、やはり子供にむかって、筋の通らない命令を押しつけるに違いない。
 またこの人は、会社の社長や重役になった時には、部下にむかって横暴な要求を出すにちがいない。気に入らない部下はたちまちくび切ってしまうでしょう。したがってその部下となった人間は、この人に心にもないおべっかを使い、飼い犬のように尻尾を振ることになります。
 あなたがたは、御自分の子供さんが成長して会社員になったときに、横暴な社長や重役に尻尾を振るようなことをしてほしいとお考えになるでしょうか。それとも横暴な社長に抵抗して、筋道の通ったやり方を要求する、気骨のある青年に育てたいとお考えになるでしょうか」
 読んでいて釘付けになりました。

 最近うちの気骨のある青年(?)は、「学校で不条理な事があって、ハラワタが煮えくり返った」と言って、一人でモツ鍋になって帰って来ました(ゴメン)。

 いつか人生をかけて、自分を尽くす日が来るのかなと、横顔を見ながら思いました。

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December 06, 2004

省みる事もいっぱいで整理できていません。

 鶴見俊輔さん編の「本と私」(岩波新書)岩波書店創業90周年を記念して実施された原稿募集「本と私」の入選作19篇が収録されています。

 その一つの「病床読書」です。(以下前書きより引用)「病を得てから、『どう死ぬか、どう生きるか』という問題を、本の向こうに見て、読むことが多くなった、という。若いころから買い集めた五〇〇〇冊ほどの中から、今、これを手にとりたいと思うのだが、そのためにはふだんから整理しておかなくてはと気づいた。特に、入院の時には、望む本を探しあてるには困難がある。病床読書という必要に引き寄せて、枕頭書、参考書、読み切り書に分類しておきたい。
 その中でも、枕頭の書として、マルクス・アウレリウス『自省録』には、自分なりの索引をつくった。くりかえし読みから自然にあらわれた成果である。
 『こうして、読み直そうと思う書を見つけ出すのは無性に楽しい。脈絡もなく切れ目もなく、かって心通わせたそれらの書を、再び三たびと読み返す幸せにひたるのは真に愉しい。それらの書との再会。それは精読でも耽読でもない。ましてや濫読でもない。「快読」ともいうべき会心の読書なのである。体調が勝れず不眠が続くときなど、暗闇の中でこれらの書名を呟いたりしていると不思議に安らぐ。』」

 そんな立派な本は読んだ事もありませんし、あらためてこんなに慈しんで、本を読んできたかなと思います。

 少し前からAccessで、私も本の整理をしようと思いました。でも50冊くらい入力したところで、音をあげてしまいました(苦笑)。

 本は場所もとります。姉も本好きで、ずっと以前に読んでしまったものなどは、箱につめていますが「家が傾く!(怒)」と言われたそうです(笑)。

 笑ってる場合ではありません。私の宝物の絵本も息子が大きくなった頃、もう少しで捨てられてしまう所でした。何て事するの!(泣)です。

 今は本屋さんより図書館の方が近くにあると言う、恵まれた環境にいます。だから余程欲しい本以外買わなくなりました。
 以前の記事にも書きましたが、ビデオやCD、LD、DVD(これだけは禁退出)と言った視聴覚資料の貸し出しのある館もあります。レンタル店にはないような珍しいものもあるのでとても感謝しています。

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December 05, 2004

NO SMOKING

 じゅぴさんの記事を読ませていただいて、色々思い出しました。
 母を介護していた時期がありました。身の回りの事や、家の中を歩いたりはできましたが、呼吸器が悪いため24時間酸素吸入をしていました。
 自宅では酸素の濃縮器(当時は小さな冷蔵庫くらいの大きさでした)を使って、外出する時だけ携帯用のボンベにつなぎかえます。(小さなボンベをのせた、カートを引いておられるのを、見かけられた事はありませんか?)

 通院するための往復は、身体に負担となりましたが、たまの外出です。たとえ車イスでも、好きなお茶菓子や本を買ったり、外での食事はとても嬉しそうでした。そんな母の楽しみを、煙草の煙が邪魔をしました。

 呼吸不全で、何度となく入院もしました。近くの大きな公立病院は、急性期しかいられません。退院しては、またすぐ悪くなって入院の繰り返しで、その間隔はだんだんせばまっていきました。
 それを見かねての事と、私自身が気が休まる時がなく、長期入院の可能な隣県の療養所への、転院を申し出てしまいました。

 仕事の休みの日には、必ず行くようにしていましたが、寂しかったようです。数ヶ月後には、日に数十回ナースコールをして、「ウチ へ カエリマス」と訴えるようになりました。
 同級生が医師をしている個人病院に受け入れを頼み、お正月は京都で迎えられる事となりました。

 九年前のクリスマスの日は大変な大雪でした。サイレンを鳴らそうが、国道はどこまでも渋滞していて身動きがとれません。 
 二時間かけて病院に着いたときは、意識もしっかりしていましたが、それから数時間後、急変して亡くなってしまいました。

 天候の悪い日に転院させた私は責められました。
 その日をのがすと、年明けしか受け入れてもらえなかったからだったのですが。

 車中、時折身体を起こして、景色をながめては、嬉しそうにしていた母の姿を思い出します。

 これは二年くらいの間の事でしたが、何度となく医師から「どうしますか?」と聞かれる場面がありました。
 今でもどうしていたら良かったのか、答えは見つかりません。でも自分を慰めようとは思いません。

 私も煙草は吸えるのですが、あの苦しむ姿は忘れられませんので。

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December 04, 2004

みんな同じ空の下

 ずいぶん前に聞いた話です。不特定多数の人が集まる会食の場なんかで、タブーな話題は「政治」と「宗教」と「子供の話」。
 ではどんな話題を?と言うと、「おいしい物の話」-万国共通の楽しみだからと。

 前の二つははわかりますが、「子供の話」はどうして?と聞き返すと、欲しくても授からない人がいるから、と教えてもらいました。

 まだ若かったので、その時には実感がわきませんでした。でも今ならわかります。
 私には息子がいるのに、わかるなんて言ったら、叱られるかも知れませんが。

 身体や健康上の理由以外でも、色々な条件であきらめておられる方はいます。
 きっとこの人、いいお母さんになられただろうな、と思うと切なくなります。

 新聞で野田聖子さんが、不妊治療記「私は、産みたい」(新潮社)を、出版されたと言う記事を読みました。
 まだ手元に届いていないので、読ませていただいてませんが、野田さんにゴマ粒ほどのエールを送らせてください。
 

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December 03, 2004

サンタさんから夢の贈り物です。

 私が書いたシュークリームの記事に、コメントをいただいて涙が出ました。
 それと同時に、うちの息子にこんな思い出があるのか、この先できるのか・・・と言う気はします。実は彼は、このシュークリームを食べたことがあります。ごく小さい時に。たぶん覚えていないでしょうね。
 
 以前、子供たちにゴチソウと聞いたら何を思い出す?とたずねたら。たいていは「焼肉」と返ってくると聞きました。
 チラシ寿司はインスタントのおかげで、忙しい日にお母さんがよく作るよとか、ケーキもコンビニで売ってるよとか、ゴチソウの座からは転落したみたいです。

 知り合いに、「食」へのたいへんなコダワリのある栄養士さんがおられます。
 有機農法を実践されている農家から、有機農法の飼料しか食べていない鶏の卵や、牛肉を送っていただかれています。
 私も何度か譲っていただきましたが、本当においしいです。
 
 その卵の黄身は、ほんのり白いです。そして生卵特有のくさみが、まったくありません。
 たまかけご飯か、せめてゆで卵で食べないと、もったいなくなります。それでいて、決して驚くような値段ではありません。

 毎日そんな食材を手に入れて、食べ続ける事はできませんが、”本来の味”を持ったものを食べる事は、大切なんだと感じました。

 私の幻のシュークリームは、確かに高価なお菓子でした。
 自分でお菓子も作れるようになって思ったのは、使っておられた素材が、全然違ったんだろうなと言うことです。
 こだわりをもっておられましたから。

 また夢に出てきそうです(笑)。

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December 02, 2004

「おのこしはゆるしまへんでー」

 今頃、思い出したみたいに書きますが、食料自給率レポートご覧になられた方、いらっしゃいますでしょうか?
 私もこの記事に、何か資料を、と思って見つけました。統計的な資料かなと思ったのですが、読み物として結構おもしろいです。

 全部で71頁あるのでちょっと手間です。私は息子にハーゲンダッツのアイス一個と引き換えに、全部プリントしてもらいました。

 こんな資料が家にいながら、お手軽に読めるようになった事に感心しつつ、あまり知られていないんじゃないかと思います。 
 レポートを読んだ方からの意見、感想もいっしょにのせられています。専門家の意見ではないので、率直な感想と言う感じです。
 生産量の事以外に、食の変化にともなう問題、食品の廃棄や食べ残しの増加による環境への影響についてもふれてあります。
 
 「食」を考えるいいきっかけになりそうです。

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December 01, 2004

「おこしやす」です。

31024.jpg
 師走の京都の街を彩るイルミネーション、あれから見に行かれた方の感想は、ディズニーランドのようだった?そうです。

 京都のハイテク企業には、他にみなさんがよくご存知の島津製作所、京セラ、任天堂、村田製作所、日本電産、堀場製作所といった名前があがります。
 
 「京都企業の強さはこれまでも多く語られてきた。伝統産業が培った技術力の強さ、産学協同を身近に進められる多くの大学の
存在、独自の企業哲学を生み出す風土。そのいずれもが、今も京都に息づいている。(中略)『次の時代の京セラ、ロームを掘り起こそう』。われわれはこうした問題意識を持ち、これまで取材を続けてきた。オンリーワンの技術を持つベンチャー企業、大企業の中から分社化し独自の道を歩み始めた中堅企業。変身を模索する老舗企業。そうした中に多くの「きらりと光る企業」を探し出すことができた。」(↓引用)

 京都の躍進企業「ベンチャーの都の103社」(日本経済新聞社編)には、ハナワの"京都府の歌"の歌詞にもなっている、京豆腐(キョウ・トウフ)の革新派と言われる企業から、宇宙開発に貢献する技術を持つ企業まで103社が掲載されています。
 京都を紹介する本は色々出版されています。これは京都人の心意気が感じられる一冊です。

 *さらにこれに次ぐ企業を見い出すべく、京都市ベンチャー企業目利き委員会が設立されています。興味がおありの方、一度ご覧ください。

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